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透明性を持つこと
(3/16更新)
これは、以前日記に書いた内容を再編集したものです。
最近感じたものづくりに対しての思いを少し。
この間スマステに日産の社長であるカルロス・ゴーン氏が出演してました。
倒産の危機にあった日産をわずか一年で黒字に転換した彼のビジネス手腕の
特集があったんですね。
これはすごく面白かった。
彼が番組で言っていた「一番好きな言葉」は
『透明であること』
会社の中も、家族の中も、自分の心も。
すべて透明であること。
隠し事がない、という捉え方もできるけど、
ねぇねは「曖昧なものをよりはっきりさせること」ではないかと
感じました。
かつての日産の社員は、車が売れないのは「デザインが悪いからだ」とか「営業が悪いからだ」とか他の部署に責任を転嫁する文化が根付いていたらしい。
車が売れない理由を他になすりつけることで
本当に「売れない理由」を探そうとしなかった。
曖昧にしていたんです。
ゴーン氏はまずそこを断ち切った。
何が悪くて何がいいのか、会社のシステムを透明にしたんです。
明るみに出た欠点は社員全員が知ることになる。
他に責任を押し付けることが出来なくなってしまった。
でも逆に、それは社員一人一人のモチベーションを上げることに繋がった。
そんな感じの内容でした。
あくまで自分が感じたままを書いてますが。
でもゴーン氏のこの信念はものづくりをしている自分にも
当てはまることじゃないかとそう感じました。
例えば漫画を一作完成させる。でもあっさり編集者に没をくらった。
昔のねぇねは「あ〜めっちゃヘコむ」
それで終わりでした。でも、大事なのはそこじゃない。
なぜ没になったのか、
自分の漫画のどこが悪かったのか。
なにが面白い漫画でなにが面白くないのか。
自分の漫画の、そういう欠点部分を曖昧なままにしていたんです。
「なんとなく、自分の漫画はダメだったんだな」と
そう思うのが精一杯だった。
だから、どう欠点を直せばいいとか具体的なことは何も明らかにせずに
次の作品を描こうとしてた。
結局、それから満足のいく漫画は生まれてこなかったんです。
自分はもう、子供ではない。
「なんとなく」描くだけで面白い漫画は描けない。
湧き上がった場面を繋げるだけで面白くなるほど自分は個性的でもなく、
センスもない。それはもう、いい加減認めて、
「透明になろう」
と思った。自分に対しても、自分の漫画に対しても。
なぜ、この話を描きたいのか。
なぜ、この場面が描きたいのか。
私の漫画には何が足りないのか。
私の漫画が、曖昧なのはなぜなのか。
その理由を明確にしようと。
そして自分の漫画を振り返り、考えたことで二つの欠点がはっきりしました。
ひとつは、「自分は誰に向けて漫画を描いているのか」定まってなかったこと。
男性なのか、女性なのか、子供なのか、学生なのか、社会人なのか、主婦なのか。
「なんとなく」描いたものは、どこの誰にもヒットしない。
うけているのはきっと、自分だけなのだと。
もうひとつは、「何を伝えたいのか」
今までの作品はどこか独りよがりの部分が多くて
「自分の作った漫画設定を見て!!」とか
「この場面が描きたかっただけ!」とか
「話もりあがってるでしょ!?」とか
それこそ自己満足のものが多かった。
何を伝えたいのか、あんまりよくわからない作品もあって・・・
「この二人はこういう関係になりました」
という結論だけを伝えようとしていただけの内容もありました。
ではこの二つの欠点はどうすればいいのか。
それはやはり先に「誰に向けて」描くのかをはっきりさせるしかないと
そう思いました。
で、出された結論。
ねぇねの場合、誰に自分の漫画を読んで欲しいのかという問いに対しての答えはまず、
「子ども」
でした。性別は関係なく、子どもが自分の漫画を読んで、ドキドキワクワクして悲しくなって嬉しくなって感動して、そして夢をもってくれたら・・・。
すごく、幸せじゃないですか。
読者対象は子ども
その子どもたちに、自分が伝えられることは。
それを考えれば、描きたい漫画の内容は、うん、以前よりはっきり見えてきた気がします。
まあ、子どものほかにも読んで欲しい対象はいるんですけども、その人たちに向けての漫画を描けるのはもう少しあとかな、と思ってるのでここでは割愛(自分で言う・笑)
ほら、ちゃんと向き合えば、自分の漫画の方向性は見えてくるもの。
今回のこの作業でこれから描くべき自分の道が少しはわかった気がします。
去年の秋に持ち込みに行ってから2つの投稿を経て、
いまのねぇねが思うこと。
「誰に向けて」「何を伝える」
この2つのことを軸にしてこれからも作品を作って行きたいなと
そう思いました。
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